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先日ポルトガルのポルトに出張に行ってきました。

ポルトは人口24万人ながら、首都リスボンに次ぐポルトガル第2の都市。
市街地は「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録されています。
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大西洋に面し、スペインから流れ込むドウロ川沿いにあり、北部で取れる独特のワインは、
この川を渡ってポルトの港で貯蔵され、世界中に輸出されます。有名なポルトワインです。
ポルトガル vs スペイン_e0155786_633681.jpg


ポルトガルなので、当然ポルトガル人と仕事以外にもいろいろ話します。

スペインとポルトガル、企業活動ではよく「イベリア」と、両国をいっぱ一からげにした呼称を使い、
「一国」として扱います。

同じ「ラテン民族」、同じ「ローマン」を語源とする言語を話し、
過去に同じ君主を持っていた国(ポルトガルはスペインから独立した)。
ところが、ポルトガル人と話すたびに、両国の国民性はかなり違うということを感じます。
なぜ、かくも違うのか?

ポルトガル人に、スペインと比較した「お国自慢」を導くような質問をしてみると、
あきらかにスペインに対する「敵対心」が見え隠れしてます。

以下は、そんな話から

・コロンブスはポルトガル人説
現在ではスペイン歴史上の偉人の一人、コロンブスは、
スペイン人でないながらも、アメリカ大陸を発見し、スペインを拠点に数々の航海に出かけ、
スペインに莫大な富を持たらせました。
そんな彼も、晩年はスペイン王室から非常に冷遇されていました。
栄誉を取り戻したのは、死後何百年も経ってからとのこと。

そんな彼の出生地については、一応、定説ではイタリアは「ジェノバ出身」ってことです。
でも、ポルトガル人に言わせると、実は「ポルトガル人」だったらしい。

「コロンブスはほんとはポルトガル人だったってことは、スペイン人すら認めている。
スペインにあんな功績のあった人物を冷遇してきたのに、いまさらその功績を称え、
スペインの偉人にしようとは、虫のいい話だ」とのこと。

・トルデリシャス条約における駆け引き
この「トルデリシャス条約」、1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、
当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、
当時の教皇がヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めたもの。
つまり、当時もっとも盛んに植民地活動を行っていた両国が、教皇を巻き込んで、
世界を2分して、勝手に自分達の領土としてしまった、という条約。

この条約により、アメリカ大陸でブラジルだけがポルトガル領土、それ以外はスペイン領土。
一見スペインに有利な条約に思えますが、実のところは、太平洋の西側、アジア以西は全て
ポルトガル領土になる、というポルトガル有利な条約。

なぜスペイン人はこれで納得したのか?
その答えは、ポルトガル人は、このときに、当時スペインからほとんど支援を得られなかった
コロンブスに偽の情報を与え、偽の地図を渡し、当時アメリカ大陸より西側に世界があることを
伝えなかった、といいます。

・ポルトガル人は人道的説
両国が外洋に出て、探検し、次々と発見した土地を植民地化していた頃。
スペイン人はその土地の文化や現地人を壊滅し、
一方で、ポルトガル人は現地人と仲良く融合していったとのこと。

根拠として挙げられるのは、スペインがインカ帝国やアステカ王国を武力で滅亡させたこと、
また現地人といさかいがたえなかったために植民地を小さく分割せねばならなかったこと。
だから、旧スペイン植民地だったラテンアメリカ諸国は概して国土が小さい。

一方、ポルトガルは現地人と溶け込んでいたので、殖民地勢力を分割する必要がなく、
結果的にブラジルが広大な国土を持つ国になった。

ま、そんな感じです。

実際、現状は、
ポルトガル人は、スペイン人と話すときはスペイン語を使います。
スペイン人はポルトガル語をしゃべれません。

ポルトガル人は、英語が堪能です。スペイン人はまず英語がしゃべれません。

ポルトガル人は、文化的にも、アングロサクソンやゲルマンの影響を多く受けています。
スペイン人は典型的ラテン人です。

ということで、ポルトガル、小国が故の「世渡り上手」な国になったわけですね。

# by bonito_seco | 2009-09-06 06:48 | ヨーロッパ旅行記

気付いたら、なんともう9月になりましたね。
9月といえば、僕が滞在許可証を入手したのが9月7日。
滞在VISAの一回目は1年で切れるので、現在滞在延長申請中です。
依頼先の代行業者からの音沙汰が1ヶ月くらいありません。
たぶん夏休み中なのでしょう。。。
果たして、無事、滞在許可は更新できるのか??

そんなわけで、観光VISAでの滞在時期を含めて、スペインに来て1年と4ヶ月経ちましたが、
これまで3回ロスト・バッケージを経験しました。全て、バルセロナ空港の帰着便で。

これまで日本でもアメリカでも何度も国内、海外出張を行ってきたのですが、
ロスバケ経験は一度もありませんでした。

しかし、なぜだかヨーロッパでは頻繁に起こる。
というわけで、ロスバケのベテラン(私)による、これは教訓話です。


1回目、初体験は、赴任早々の2008年6月の話。
フランクフルトからの帰国便。イベリア航空。
届かなかったのはこのかばん。
ロスト・バッケージの際には_e0155786_5485160.jpg

当時働いていたアメリカの会社の皆さんから餞別にもらった、大事なスーツケース。

このときは、自分の預け荷物がなくなるとは夢にも思わず、
そして、仮になくなったとしても、航空会社が全面的に責任を負ってくれると、
心の中で思っていた頃。

空港内の荷物受取場にある、ロスバケのカウンターで手続きを済ませた後、
2日後に宅急便で届きました。
中に入れていた貴重品
・キヤノンのモバイルプリンター(時価3万円なり)
・ロジテックのプレゼンテーション・ポインター(時価1万円なり)
だけが、見事に盗まれた状態で。
このときは、アメリカから赴任した早々だったので、「荷物に鍵をかけてはいけない」、
というアメリカでのルールを世界共通のものだと思い込んで、スーツケースに鍵をかけずに
預けたのでした。

2回目は、詳しくは覚えていないのですが、時期は1回目のすぐ後。
1回目と同じように手続きを済ませ、スペインに対して行き場のない怒りを抱えて、
ゲートを出る前に空港内を最後にくまなくチェックしたら、
隅のほうに放置されている僕のスーツケースを見つけました。
どうやら、1便前の飛行機に積まれていたようです。

3回目は、つい最近。
今回はくやしいことに、スイスで買ったばかり、
はじめて旅に連れていったお気に入りのmont・bellのかばん。
ロスト・バッケージの際には_e0155786_550113.jpg


待つこと2日間、これも無事届きました。


ということで、教訓です。

<ロスト・バッケージの原因>
・チェックイン担当者、航空会社、もしくは空港係員のミス
・盗難目的

<ロスト・バッケージ対策>
・なるべく預けない:(当たり前?)
・鍵をかける:盗難目的によるロスト・バッケージの防止措置
・預ける際は、航空会社のカウンターの係員が、しかるべきタグを付け忘れていないか確認する。

<ロスト・バッケージにあったら>
・空港内をくまなく調べてみる:1本早い便で荷物だけ届いているかも
・あわてない:頻繁に起こっているようです。飛行機会社側も悪いとは思っていない態度
・専用カウンターで受付をする:かばんの色とか、タイプとか、ブランドとか聞かれます
・待つ:TELでもネットでも、状況は逐一確認できます
・きっと届きます:世界中に捜索網が一応はりめぐらされています

これで、「盗難目的」以外は、いずれ、きっと届きます。
問題は、この「盗難目的」。空港職員にマフィアもからんで、それはやりたい放題らしいです。
窃盗集団にとって、こんなにおいしい状況がないのも事実。
悪名高いのはロンドンのヒースロー。数年前に50人規模の空港職員が摘発されました。
他にもローマのフィミチノ、ドイツのフランクフルトも有名です。

<届いたら>
・中身を確認する。盗難目的ではない場合、中身は無事です(当たり前?)。

<盗難物があったら>
・関係書類は全て取っておく:航空会社は責任を負わないにもかかわらず、、
・航空会社に一応連絡を取る:TEL受付担当者は、クレームレターを送れ、
 というので、とりあえず被害明細や金額を明記して送ります。
 しかし、盗難の場合は航空会社は責任を取りませんが、後々、盗難の「証拠」のひとつになります。

<海外旅行保険>
・保険会社に損害補償確認:このときに種々の書類、また盗難物の購入レシートがあればなお良い。

これは、れっきとした犯罪です。そのためには、立証せねばなりません。
で、立証は不可能なので、どこまで状況証拠で保険がカバーしてくれるか、ということです。
僕の場合は、手続きがなんとなくめんどくさくて、泣き寝入りして、
とっとと新しいのを買いましたが。。。

というわけで、「ロスバケ」は起こりうるもの、と考えて、「なくなったら本当に困るものは預けない」
ってのが基本ですよね?

# by bonito_seco | 2009-09-02 05:52 | スペイン生活

まだまだひっぱります。スイスの話。。。

日本政府観光局による2008年の統計。
日本人出国者数の多い欧州の国別ランキング(観光客、ビジネス、駐在員など含む)。
1位フランス、続いて、、ドイツ、スペイン、スイス、イギリス、イタリア、、、
イギリスよりも、イタリアよりも、スイスに向けて旅立った人が多い。。。

そんなわけで、スイスでは、当然のように日本人をたくさん見かけました。
町自体はどこに行っても小さいわけで、そこに、イギリスやイタリアに行った人以上の日本人の
方々がいるわけで、当然のことながら、見かける「日本人率」が高くなるわけです。

するとこんな商売が成り立つわけです。。。ここはゴルナーグラート展望台駅、観光名所。
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このおやじの後ろにいる犬はセントバーナード。
犬と記念撮影をさせて、それでお金をもらう人。なぜ?
そう、日本版ハイジにのみ登場する犬、ヨーゼフ人気を狙った、日本人限定対象のビジネス。

別段犬にそれほど興味がない私はと言うと、このおやじには全く興味を見せず、
別の部分でその恩恵を存分に受けたわけでございます。

「日本食」にめっぽう弱い私は、「チーズ・フォンデュ」などには目もくれず、
こんな店を見かけたら、その前を指をくわえて何度も往復し、
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こんないかにもスイス風のレストランの外に貼ってあった、
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こんなメニューをチェックしては、
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こんなものを注文し、
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こんな看板を見ては、
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こんなものを注文してました。
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しかし、でも、今回の旅でもっともお世話になったお店は、こちらのブランド。
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日本を離れて、早や6年。ここでお目にかかるとはついぞ思わなかったですぞ。
mont・bell様。昔は随分お世話になりました。
欧州にはこのブランドの商品は、まずもってお目にかからない。。。

お店の方に聞いてみると、このグリンデルワルド店が欧州で唯一の直営店舗とのこと。
そろそろゴアテックス効果がなくなってきたので、新しい「レインダンサー」が欲しいな、、、
と思ってふらりと店内に入ってみたら、、、ああ、そこはワンダーランド。

前からなんとなく欲しかった「取ってつきリュック」をつい興奮して3万円で買い、
ワンタッチで着脱できる「魔法のハイキングシューズ」を4万円で衝動買いしたのでした。
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日本のブランドを、日本人のサービスで、日本語で買い物できるのはなんともいえない幸福です。

# by bonito_seco | 2009-08-27 06:22 | ヨーロッパ旅行記

「アイガー北壁」。。。なんともりりしい名前。

「タイガー魔法瓶」でもなく
「メガネの愛眼」でもなく
「じゃぱネット高田」でもなく

「アイガー北壁」。
「アイガー」と「北壁」の絶妙でかつテイキンオーバーなかんじ。


「アイガー」は、ベルナーアルプスにある、スイスを代表する名山。
「北壁」は北向きの山面。英語で「North Face」。
かのアウトドア系有名ブランドもここから名称を取っていますね。

世の中にはいろんな「三大」があるもので、「北壁」にも三大があります。
「三大北壁」。北に向かってる壁。

なんでも、、、
グランドジョラスのウォーカー側稜(ウォーカーバットレス・北壁)、
マッターホルン北壁、
そして、アイガー北壁。
なんの「三大」かと言うと、「困難な三大ルート」らしいです。

アイガー北壁は、1935年~1958年までに25回の登頂が試され、死者は15名に及んだものの、
13回67名が登頂に成功している。

これが、そのアイガー北壁。標高、3,975 m。
「アイガー北壁」って知ってる?_e0155786_53543.jpg


北壁は、高さ1800mの岩壁。初登頂は1938年。
僕の愛読書、「武田信玄」の新田次郎さんが「アイガー北壁」という小説を書いてます。


日本人に大人気のスイスの観光地、グリンデルワルドは、
この「アイガー北壁」をながめることができる町です。

「アイガー北壁ビュー」のホテルの部屋から、町と一緒に撮った写真。
「アイガー北壁」って知ってる?_e0155786_533250.jpg


もちろん、僕はこの壁に挑戦するはずもないので、
なんとも平和で、すがすがしい夏季休暇を過ごしました。

# by bonito_seco | 2009-08-25 05:03 | ヨーロッパ旅行記

とーぶんの間、スイスの話が続きそうですが、、、
なんせ2000枚の写真があるので、スイス、なかなか整理できません。
やっとこの山だけ整理できました。

ということでとりあえず第一話。

今回スイスに行った最大の目的は、この山を見ることでした。


きっと世界一かっこいい マッターホルン_e0155786_63425.jpg

きっと世界で一番「かっこいい」山、「マッターホルン」。標高4,478m。

10年位前、北海道で住んでいた頃に初めて登った樽前山。
それからすっかり登山の魅力に取り付かれ、以降、ずっと夢見てきた山。

歴史上初めて山頂が制覇されたのは1865年。
アルプスの名だたる名峰の中で最後の方まで山頂を制覇されなかった山。
技術的な難易度はさることながら、霊峰であることを初期の登山家達が恐れたため、
ともいわれています。

ちなみに僕のような一般登山愛好家が登るのは無理です。
毎年結構な人が滑落や遭難してます。

8月中旬の盛夏の時期とはいえ、天候が崩れやすい山の気候。
念には念を入れて、今回は計7泊のうち、4泊分をマッターホルンのある
「ヴァリス・アルプス」地方に泊まり、「マッターホルン」見物に臨みました。

標高3,100mのゴルナーグラート展望台にある山岳ホテルに2泊。
その後、スイス側のお膝元「ツエルマット」の町に2泊。

結果的にほぼすべての日が快晴で、非常に満足の行くスイス旅行でしたが、
いやはや「マッターホルン」、どの角度から見ても、どの高さから見ても、非常に美しい。


ということで、いろんなマッターホルン・スペシャル~。


ゴルナーグラートの山岳ホテルの部屋の窓から見えるマッターホルンの朝焼け
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ゴルナーグラートからツエルマットに降りるハイキングルートから見るマッターホルン
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リッフェルゼーに映る「逆さマッターホルン」
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ツエルマットの町より臨む
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マッターホルンの登山基地となっているヘルンリ・ヒュッテに向かう登山道。
下を振り返ってはいけません。
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山頂のドアップ
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最後は、、、


ヘルンリ・ヒュッテの「マッターホルン・スパゲティ」
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このブログ、バルセロナ・ライフがメインテーマになるはずなのですが、
どうもバルセロナネタが少ないことを我ながら懸念しております。

ま、インターナシオナルってことで。

# by bonito_seco | 2009-08-21 06:16 | ヨーロッパ旅行記